プロジェクト通信 特集号 


歴史的史跡探求の旅 投稿者 藤田さん

のびるちく

〜野蒜築港跡編〜

仙台港にて、既設岸壁の改良工事を行っていたところ。日本の近代港湾の草分けの港の跡が近くにあるとのことで探索してきました。



明治維新後に近代的な港が必要と考えた政府は東北の港として北上川の湾口の地、野蒜地域を絶好の場所と考え築造に着手した模様です。

しかし、自然条件の悪さに巨額の投資をしたのに、岸壁が崩壊し野蒜港の再建はありませんでした。歴史の傍らに忘れられようとしていますが、貴重な土木遺産です。



歴史的史跡探求の旅

〜福井三国港エッセル堤編〜

 瘋癲の虎のように西日本に、やってきました。
福井県三国港(新福井港)にて国家備蓄基地の護岸浸食防止工事に席を置いております。

三国港は古くからの良港で九頭竜川の河口北岸に開かれた港です北前船で栄えた港です。

エッセル堤は現在で言えば民間活用PFIのようなものです。民間で出資して堤防を建設したとのこと。


色々と有名な東尋坊に東尋坊タワーがあります。

東尋坊から三国を望むとエッセル堤の説明書が描かれているのですが、なんとも「どぼくや」さんにとってはいただけません。
福井の皆さんはそうおもっているんですかね?

説明文を引用します。↓
「明治11年(約120年前)だまし絵で有名なエッシャーのお父さん、オランダ人牧師エッセルが招かれ、築いた堤防。実は東尋坊の岩を壊して運んで築いたもの。さらに以前は、東尋坊は八影といわれ、つまり八本指のように岬が突き出ていたというので、このタワーの下からローソク岩あたりまで壊され持ち去られたはず。今だったら天然記念物の破壊で絶対捕まえられるネ!」

とのことで、エッセル堤自体が悪者になっているようです。工事を行うには、立地条件が大切で近隣に良質の材料があるから施工できたのであって。必要のないものであれば今でも昔でも工事は中止できたとおもいます。東尋坊の石の切り出した跡に着いてみると綺麗に運び出され、明治の初期の何もない時代にどうやって石を切り出したのか感心します。ノミ程度しかないのに、石の重量も1t程度のものを切り出していたと思われます。
切り出した跡
傍らに残っている石
ちなみに東尋坊の岩は安山岩だそうです

さて、エッセル堤ですが、現在は当時のものの先端に追加されているので何処までが明治初期のものかはっきりしません、東尋坊から運び出された石も、ある程度は確認できますがコンクリートで浸食防止されている部分が多く全体像で当時を振り返るしかありません。




エッセル堤の付け根に三国温泉「ゆあぽーと」がありますので 過去を振り返りながら温泉につかるのも良いものです。

エッセル堤全景

東尋坊の石
赤い部分が東尋坊の石
赤い部分を拡大


最後に東尋坊の雄大な情景を 次回は対岸舞鶴だヨ!

写真だと遠近感がわかりづらいです。かなり断崖に近づいているのですが・・・。
手摺を付
けないのが良いですね!


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