明日を作った男
〜田辺朔朗と琵琶湖疎水〜

能代河川国道事務所推薦映画 「明日を作った男」〜田辺朔朗と琵琶湖疎水〜 に魅了されて、
鰄渕こ線橋下部工工事が完了し小休暇が取れたので京都に散策に出かけました。
新緑にかつての栄華が残るインクライン跡

 琵琶湖疎水の京都山科、蹴上地区にはインクライン跡が残り散策出来ます。
インクライン下手側(鴨川放水路)付近には琵琶湖疎水記念館があり工事の資料が展示されております。
筆者が、訪れた際も大学生風の若者やキャリアウーマン風の女性、初老の夫婦等平日に関わらず観覧者は、
観覧料が無料なので混んでいました。4月下旬なので京都は桜が散り、まさに新緑時期インクラインの石
積みが新緑と相まって同調し綺麗でした。また、絵を描いている市民もおりました。インクライン跡横に
は、蹴上発電所があり現在も操業しております。

琵琶湖疏水記念館

話は前後しますが、琵琶湖疎水記念館には、当時の設計書を始め、田辺朔朗が残した卒業論文や図面、
蹴上発電所の初代発電機が展示されております。

琵琶湖疎水記念館入口
設計図
トンネル断面図 卒業論文
蹴上発電所で最初に使用された発電機

美しい水路閣

琵琶湖疎水は田辺朔朗が建設に携わった
第1疎水の後に第2疎水が作られています。
インクライン上部が第1疎水トンネル及び
第2トンネルの出口合流点となります。

インクライン上部トンネル出口
(琵琶湖から今も水が流れてます)
インクライン上部より疎水分線が流れており、
筆者は疎水分線際を歩いてきました。

インクライン上部 疎水トンネル出口部には、
田辺朔朗の銅像があります。
先に見学していたおばちゃん曰く
「若いあんちゃんのときの銅像やな、
晩年時代でもいいのとちゃう」と、
騒いでおりましたが、
実際に携わっていた頃は、
まさしくこんな感じだったんでしょう。
銅像と筆者
美しい水路閣
観光客が多いのですが隙を見て撮影(明治の初期の構造物とし
ては美術的センスもあり、後生に残る構造物、国の史跡に認定
されているのも解ります)
写真奥に写っている、京都市在住の初老の夫婦に呼止められ、
琵琶湖疎水について
問われ、「当方曰く、秋田で国土交通省の
工事に携わり、映画を薦められ見た映画が、琵琶湖疎水の映画で
若干20代の土木技術者が成し遂げた工事なので見にきました」
と答えると、「地元の人は銅像なんか、誰も見向きもしないのに、
わざわざ秋田から来られたんですか、
私たち京都の住民はこのお陰でだいぶ恩恵を受けているんです。
京都市の水道料金は琵琶湖のある滋賀県より安いんですよ。
明治の混乱期に先を見据えてこの大工事を若干大学を卒業したばかりの技術者にまかせたんですから、
今じゃ考えられないですよね?」と長々と雑談する事となりました。
少しは秋田の工事のPRをしたかな・・・・・
この後、水路閣より先はトンネルの為、散策は不可能なので徒歩は南禅寺を迂回します。
トンネルの先は東山学園の近隣を通り、疎水の水の一部は記念館側へ排水しています。
東山学園横で一部排水される疎水

東山学園の引率されていた教諭に琵琶湖疎水について尋ねた
ところ、「この水は学園の
プールにも近年まで使用していた
んですよ!でも今は琵琶湖の水質悪くて・・・」
いろんな分野に活用されている。
公共事業の原点!と思ったところです。
疎水分線は、京都の北側に向かって流れていきます。
途中であった人力車のアルバイ
トのおそらく大学生が、乗客
に説明しておりました。
「この水路は人工で明治に作ったらしいんですが、京都では
水が北に流れるのは画期的なことなんですよ!
地形をうまく利用しているんでしょうが、昔の人は偉いです
よね」ふむふむと、うなづいてしましました。

「哲学の道」

疎水分線はいつの間にか「哲学の道」となり銀閣を越え流れていきます。
途中、自称芸術家と証する(石に絵を描いて売っている)おじさんに遭遇、疎水観光の記念にと疎水の描かれた石を購入した。
(記念に写真を撮らせて貰った・・・新聞にも登場する有名な人らしい)
おじさんに疎水を見に来たきっかけ等をはなし、
土木構造物としての価値うんちくを説明
したが・・・。田辺朔朗の子孫にも石をとどけたとの事でした。

美術的な石を売っているおじさん 銀閣付近(哲学の道)で記念撮影
疎水分線はだんだん、雨水排水やら生活排水やらで汚くなっていく。途中、京都大学
(たしか当社の社長が京大出身だ!私が作っていたのが橋台だ!)のグラウンドの横も通る。
疎水分線は叡山電鉄の下を通り鴨川(高野川)へ放水

琵琶湖からトンネルにて引いてきた水が河川へと戻る。
時間を費やして、琵琶湖疎水を歩いて見たが、川に放水される場所がなんの変哲もない樋函(カルバート
ボックス)「ひょうしぬけしたが、又、それもいいかもしれない」逆流しないよう川下に向いて放流さ
れていました。
琵琶湖疎水を歩いて回ると、1日では厳しいかも知れない(トンネル分も含めると)それほど延長が長い
水路を測量し施工した先人に、感銘を受けた旅であった。

 映画「明日をつくった男」PDF 琵琶湖疏水記念館資料 PDF 戻る